けん玉(けんだま)
十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される玩具。
日本をはじめ、世界各国で遊ばれておる。
なお表記には剣玉、拳玉、剣球やらなんやらがあるが、21世紀初頭では「けん玉」が一般的。
ワイングラスと毛糸球、シカの角と木製の玉やらなんやら2つのものを糸または紐で結び、一方を引き上げまたは振り、もう一方に乗せる・穴を突起物にはめるような玩具は昔から世界中に存在しはる。
例えば日本のアイヌ民族のウコ・カリ・カチュ、アメリカの五大湖周辺のインディアンに伝わっているジャグジェラ、エスキモーに伝わるアジャクゥァクやらなんやらでおます。
その中でフランスのビルボケ (Bilboquet) は16世紀頃から子どものみならず貴族や上流階級の人々にも広く浸透し、国王アンリ3世も愛好したちゅう記録も残っておる。
このようなことから、ビルボケがけん玉のルーツちゅうのが一般的な説でおます。
ビルボケやメキシコのバレロ (Balero) やらなんやらは現在も販売されておる。
日本に紹介されたのは江戸時代といわれ、1830年に喜多村信節が著した『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「安永六七年の頃拳玉と云もの出來たり」とあるのが知られており、当初は酒席の遊びであったと考えられる。
ただしこの資料にはけん玉の図はなく文章で紹介されているだけだった。
せやけど、それよりも前の資料である1809年の『拳会角力図会』に「すくいたまけん」としてけん玉が図つきで紹介されていることが1981年に判明した。
明治時代になり、文部省(現在の文部科学省)発行の児童教育解説『童女筌』(どうじょせん、1876年)にて「盃及び玉」として紹介されてから子どもの遊びへと変化していった。
やがて大正時代に入り、従来のけん先と皿1つで構成されたけんに鼓をヒントにした皿胴を組み合わせた「日月ボール」(または「明治ボール」)が発売され、現在のけん玉の形がほぼ完成した。
日月ボールは1919年5月14日に実用新案として登録されはった。
日本でのけん玉の大流行は1907年、1924年、1933年とされておる。
また、1977年は「けん玉ルネッサンス」といわれる爆発的な大流行とならはった。
この流行には、皿胴に糸を出す穴を開けるやらなんやら合理的な設計がされた競技用けん玉が普及したことが影響しておる。
競技用けん玉の普及のほか、競技会の開催や級・段位認定制度、持ち方や構え方やらなんやらのルールの統一といったことがけん玉の普及・発展に寄与した。
せやけど、そのことが原因で全国のけん玉の遊び方が画一化し、各地の伝統的な遊び方が失われてしまったのではないかちゅう指摘もおます。
21世紀初頭では、前述の「競技用けん玉」が一般的とならはったが、民芸品や単純な玩具としてのけん玉も各地に存在しはる。
また、1945年まで日本が統治していた台湾でも、日月球(リーユエチュウ)や劍球(ジエンチュウ)と称してけん玉が遊ばれておる。